青女
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不太喜欢自我介绍,也还没想好怎么自我介绍。 不管怎样,先来报个到。 未来如何,我也不知道。

個人の自由と世界共和国 ――『世界史の構造』を読んで

2017年1月28日(农历正月初一)写的期末报告。那时我还是一名学生。这或许会是我在马特市发布的第一篇也是最后一篇日语文章。但我希望它不是。

柄谷は本の序文で、「資本=ネーション=ステートの歴史的必然性を示すだけでは、ヘーゲル的な仕事にとどまる。私の課題はそれを越えることの必然性を明らかにすることである」といった。そして、最後に「それ(交換様式D)はいかに否定し抑圧しても、否応なく回帰することをやめない」と結論付けている。つまり、歴史の進行は人間の理性から自立しており、人間がいくら暴力的な手段を用いてもその方向を変えることはできない。このような歴史的必然性に対する認識は、現実世界を揚棄することにおいても、人々に行動の指標と希望を与えることにおいても、重要である。

問題は具体的にどう行動すべきか、ということである。柄谷の方法をまとめてみると、三つのことが挙げられる。第一に、各国における国家と資本への対抗運動が存在することである。第二に、贈与の力で「世界共和国」の領域を創出・拡大していくことである。第三に、「自然の狡知」を含む、交換様式Dの回帰の歴史的必然性を理解し、確信することである。世界共和国に向かう歴史において、第三次世界大戦は避けられるか。そのカギを握るのが、贈与の力である。

私はリベラリズムの立場から、国家権力に対抗しようとしていた。この本を読んで、確かに今までは資本の問題と国際関係の問題を見落としていたと思う。リベラリズムの限界は既に明らかであるが、今回を機に、方法論としての個人主義という視点から贈与について考えてみたい。

カントの世界共和国は、他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う、という道徳法則が実現される社会を指している。このような世界共和国を生きる個人こそ、「本当の自由」を享受していると私は考える。したがって、個人の自由は世界共和国とともに実現されるはずであり、個々人が「本当の自由」を追求していけば、社会は自ずと世界共和国に近づくだろう。ここからは個人が追求すべき「本当の自由」について論じる。

柄谷の交換様式に合わせて、個人の自由も四つに分けられるだろう。

A 自制・計画の自由     
B 反抗・不服従の自由
C 選択・消費の自由
D 自己実現・創造の自由

まず、交換様式A=互酬における自由を「自制・計画の自由」と呼ぶ。未開社会の場合、人々は主に自然と闘っていた。例えば、今は満腹でも、明日の食料を確保するために、休まずに狩猟する。また空腹のときでも、あるものを全部食べてしまうのではなく、再生産のために一部残しておく。贈与の観点から見れば、これらは未来への贈与である。そして、共同寄託と互酬は、利益・運命共同体の部内者への贈与である。このように、人間は将来のために、自ら本能と欲望を抑えることによって、自然から自由になったのである。

次に、交換様式B=略取と再分配に対応する自由を「反抗・不服従の自由」と呼ぶ。国家は暴力を独占することで秩序と安全を提供するが、それができなくなった時に、人々は服従を拒絶し、古代は暴動、近代は革命、現代はデモなどのような形で反抗してきた。リベラリズムが注目しているのは、主にこの国家権力からの自由である。

そして、交換様式C=商品交換における自由を「選択・消費の自由」と呼ぶ。産業資本主義は従来の社会構造を根本的に変えた。人々は土地や様々な封建的拘束から解放され、労働力商品を売ることで気ままに人生を生きることができた。学校、工場、会社などの近代組織から新たな拘束や服従を強いられても、私生活においては誰にも干渉されず済んだ。そこで、人々は無節制に貪欲になり、道楽に耽っていき、倫理と道徳を前近代的な考え方として拒否するようになった。そして、自分たちは「本当の自由」を享受しているように自慢したりもする。しかし、これは勘違いである。

最後に、交換様式Dにおける自由を「自己実現・創造の自由」と呼ぶ。これこそ、人間が到達すべき「本当の自由」である。カントの言葉を借りれば、自己原因的(自発的・自律的)な自由である。このことは、柄谷のいう「交換様式Aがより高次の次元で回復される」としても考えられる。ただし、それを「抑圧されたものの回帰」ではなく、「見失われたものの回帰」というべきである。人間は欲望をコントロールしてこそ、自然環境から解放された。そして、共同体からも解放された今、個々人は、人間としての自由の原点に立ち戻って、進むべき方向を見直さなければならない。今度こそ、他の何ものでもなく、ただ自分自身の存在価値を最大限に引き出すために、自ら進んで本能と欲望を治めるべきである。そうしてはじめて、自分自身の生を享受できる「本当の自由」を獲得する。そして、自ら欲望をコントロールすること自体が未来と他者への贈与となる。

以上述べてきたように、個人の自由と世界共和国は表裏一体であると考えられる。「本当の自由」は、世界共和国と同じように「統整的理念」に過ぎない。しかし、世界共和国は多くの人にとって遠くから夢見るしかないが、「本当の自由」の獲得は誰でも毎日挑戦可能なのである。

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