KITTY

在香港長大的女生。喜愛小朋友,現每天和幼兒及家長打交道。喜愛日本文化,曾到東京過打工仔的生活。

日本語とわたし

This is my homework, but also my real story about Japanese. It is the reason why I have spent a lot of time learning and experiencing Japanese culture.


なぜ日本語の勉強を始めましたか。

高校生のとき、JPOPが香港で大ヒットしました。わたしは浜崎あゆみと宇多田ヒカルが大好きでした。毎回シングル発売日に、放課後友達とすぐにCD屋さんへ買いに行きました。CDの歌詞には中国語翻訳がありますが、歌曲を歌えなくて、残念に思いました。それがきっかけで日本語の勉強を考えるようになりました。

最初はひらがなを自分で学習しました。ひらがなを勉強してから、日本語の歌曲を歌えるのはとても楽しかったです。それに日本文化に興味が湧き始めて、日本のドラマも見ました。

日本文化を深く理解したいので、その時日本研究学部に入学したかったですけど、試験に落ちてしまいしました。それでも、日本語の勉強を諦めないで、大学で日本語と日本文化を副専攻しました。大学の生活は忙しくて、大変でしたが、授業から日本社会と文化を学べるので満足でした。

J POPは 大ヒットしました

日本語を勉強して以来、ずっと日本に旅行したいと思っていました。

大学四年生のとき、初めてひとりで九州へ旅行に行ってきました。おいしい日本料理を食べたし、日本人の友達に再会できたし、すごく嬉しかったです。日本語で友達と話せるといっても、簡単な日常会話しかできませんでした。友達の話す速度は速くて、外国人にとって聞き取りにくいです。そして、わたしの日本語の語彙は足りなくて、自分が話したいことをよく伝えられなくて、結局友達と英語で話しました。

日本に旅行して初めて、わたしの日本語はまだまだで、もっと頑張らなければならないとわかりました。それをきっかけに、大学を卒業した後で、スペースで日本語の授業を受けるようになりました。

九州の熊本城

社会人になって数年経ったら、仕事が停滞していると感じました。新しいことに挑戦することを思いつきました。自分がいる環境を変えようと思って、仙台被災者支援センターへボランティアに行ってきました。

初めにスタッフは仙台市と石巻市の被災現場に連れていってくれ、被災状況を紹介してくれました。そのとき、東日本大震災からもう四年間経ちましたが、流された建物はそのままあって、まだ再建されていませんでした。わたしはすごく驚きました。

一部の被災した人は家を建て直し、自分の家に住んでいますが、一部はまだ仮設住宅に住んでいます。わたしは毎週一回仮設住宅へ「お茶っこ」に行きました。「お茶っこ」は東北の方言で、お茶を飲みながら、おしゃべりするという意味です。

それに被災したお年寄りの農業を手伝いました。手伝うといいますけど、わたしはずっと都市に住んでいましたから、農作業はまったくできませんでした。逆にお年寄りから雑草の取り方や果物の植え方を教わりました。ありがたいと思いました。

毎日いろいろな日本人に出会ったので疲れましたけど、充実した生活を送っていました。さらに日本語を使えて、会話能力がだんだん向上してきました。しかし、お年寄りと話すと、相手は東北の方言を使うから、わたしは二割しか聞き取れませんでした。同じ日本語なのに、何を言っているかわかりませんでした。

日本語を勉強するには終わりがなくて、一生学び続けなければと気がつきました。

現在の石巻市


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